要求している時点で、対等な関係ではない

投稿者: | 2025年7月26日

思ったことをつらつらと。

ある人物から、xxするべきと要求された。

要求とは、相手に要望を強いる行為である。

その時点で、対等な関係ではないのではないか。

人間関係においては、相手にしてほしいことではなく、自分がしたいことを言うべきではないだろうか。

結局のところ、相手を変えることはできず、相手を変えたいのであれば、その対価を支払うのが対等な関係ではないだろうか。

相手にxxを要求するのであれば、自分もxxを差し出さなければならない。

等価交換。

相手だけに何かを強いるのは、やはり強要でしかない気がする。

そこに齟齬というか、誤解というか、すれ違いというか、端的に言えば、意見の違いが出る。

というか、意見の違いでもないのか。

結局のところ、誰を主体に話すかの問題な気がする。

相手を主体にして話していたのが問題なのだ。

相手に執着しているから、相手の話になる。

そうじゃない。

自分はどうしたいのかしか、人間関係においては、話すことができないのではないだろうか。

それが対話じゃないのだろうか。

相手を変えようとする、相手を操ろうとする、相手を動かそうとする。

その事自体が、そもそも変なのだ。

ロシア、ウクライナでどちらが問題なのかと言えば、ロシアだと多くの人が思うだろう。

それは戦争を仕掛けた側だからかもしれない。

しかし、そもそもは対話をすることを拒否しているのが問題ではないのか。

ロシアとして、自分たちは何をしたいのか?がわからない。

ウクライナを支配したいのか?

支配した先に何があるのか?

目的が明確ではない。

世界を統一したいのか?

ロシアは何をしたいの?

プーチンは何をしたいの?

経済的な成長を望んでいるのであれば、別にウクライナを支配する必要性はない。

単純にロシアの版図を広げたいだけなのか?

なぜ、版図を広げたい?

理由がわからない。

支配領域を広げることで、偉くなるのか?

それも違うだろう。

結局、自分の中の本当の欲望というか、望みを言わない限り、対話は成立しないし、人間関係はいつか破綻する気がする。

なぜなら、虚構だから。

嘘だから。

ウクライナを変えるのではなく、ロシアが変わらなければならないという話。

ウクライナが欲しければ、そう宣言すればいい。

過去の歴史がとか、NATOがとか、そういう話じゃない。

本音が見えないのだ。

ロシアがプーチンが、ウクライナを攻めた先に、何を求めているのか。

そしてそれは、人間関係にも同じことが言えそうだ。

何を自分が望んでいるのかを、言わない限り、伝わらない。

迂回した話をしたところで、伝わらない。

どうやっても無理だ。

察してくれなんて、都合が良すぎる。

脳と脳がLANケーブルで繋がっているわけじゃない。

Wi-Fiだって繋がってないのだ。

相手の考えていることなど、わかりようがないではないか。

だから、話すしかない。

対話するしかない。

相手に要求するのではなく、自分が何を望んでいるのかを発信し、相手の意見を聞く。

そこが最初の一歩じゃないだろうか。

何で欲望を隠そうとするのか?

欲望は醜いものだと、教えられてきた。

欲望を解放することは悪だと教えられてきた。

でも、本当にそうだろうか?

欲望の行使が問題であって、欲望について話すこと自体は、悪いことではないと思う。

話すこと自体、悪いとなれば、それはまさに言論封鎖だし、表現の自由を奪われることにほかならない。

だから、もっと自分の欲望というか、望みをちゃんと言うべきなんじゃないかって話。


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