
思ったことをつらつらと。
時代によって、状況によって必要な能力というものは変わる。
何を当たり前のことを言っているのだ?と思うかもしれないが、その意味をちゃんと理解している人は少ないように思う。
例えば、現代においては、朝ちゃんと起きて働きに出て、夕方帰ってきて、夜は寝るという習慣が良いとされる。
夜型人間は不健康で良くないという話だ。
しかし、太陽がなくなってしまったら、昼型人間は精神を病み、夜型人間はむしろ活動しやすくなるだろう。
つまり、環境が変わることで、必要な能力が変わるということだ。
で、これが当たり前だと思うのであれば、そのような変化が起きる可能性を考慮し、夜型人間を確保しておく必要があろう。
夜型人間を淘汰させ、すべての人が昼型人間になってしまったら、いざ太陽が無くなったときに、圧倒的に効率が下がるし、そのまま絶滅してしまうかもしれない。
太陽が無くなることはないと思っている人も多いだろう。
確かに。
ただ、太陽光が地表に届かなくなる可能性は、否定できない。
現状で言えば、ロシア・ウクライナ、イスラエル・イランなど、世界大戦の火種がある状態。
中国も台湾への武力行使を狙っていることは明らか。
何がきっかけで第三次世界大戦が起きるかわからない。
昔の世界大戦だって、誰も起きるとは思っていなかったし、原爆が日本に投下されるなんて、日本人の誰もが思わなかったことだろう。
核の冬は無い可能性ではない。
つまり、太陽が無くなる可能性は否定できないのだ。
何が言いたいのかというと、人間のどの能力が今後役立つかは誰にも予測できないということ。
だから、今の時代、環境において能力が発揮できないからといって、不要ということはないのだ。
僕たちは、そうやってずっと生き抜いていきた。
それが多様性であり、多様性を重視するのであれば、弱者を保護する必要があるのである。
それが当たり前ということの理解。
弱者を見下し、足蹴にするのは、そんな当たり前のことも理解できていないということになる。
もしくは、理解した上で、やっているのかもしれないが。