対等な関係を続けることの難しさ

投稿者: | 2025年6月12日

思ったことをつらつらと。

好きじゃなくなるのは、価値観の相違ではなく、相手に対して尊敬、敬意を払えない状態になってしまったからではないか?

または、自分を否定されたように感じるからではないか。

その根源は承認欲求な気がする。

自分を認めてくれないから、相手も認めない的な。

否定されると相手が自分を攻撃してくるように感じる。

敵意を感じる。

好きじゃなくなる。

受け入れて貰えないということだ。

受け入れて貰えないというのは、否定でもある。

また、相手のことは承認したくないが、自分のことは承認してほしいというのもあるのだろう。

つまり、自分の言い分だけを通したいというような場合、というか、欲望なのか。

でも、それは不均衡なのだ。

バランスが悪い状態。

人間はそれを解消しようとする。

というか、解消したいと思う。

しかし、それは難しいのだ。

かなりの困難を極める。

不可能に近いといえるだろう。

一方的に承認欲求を満たしたいという時点で、相手と対等な状態ではない。

対等な関係こそが、愛のベースにあると個人的には考えている。

お互いに承認欲求を満たすことができる状態。

しかし、それが実現しないのであれば、相手が変わるか、自分が変わるしかない。

現状として、一方的に自分が相手を承認している状態なら、やはりそれをやめるしかないのではないか。

つまり、お互いに承認しない状態にしないと、フラットにならないということ。

相手に対して、投入していた時間などのリソースを止めるのは当然だろう。

そもそも自分を承認してくれない人に、なぜ自分の時間を使う必要があるのか、その理由がわからないのだ。

理解できない。

相手は承認してくれないのだから。

どれほど頑張っても無駄ではないか。

根幹が少し見えてきた気がする。

そうか、ずっと承認してくれた人が承認をしてくれなくなる、つまり、それを否定に感じたから嫌だったんだ。

承認され続けたかったんだ。

相手のことを、どう考えていたのかはわからない。

ただ、その人に承認されていることが心地良かった。

ところが、その承認が無くなるとなれば、デメリットになる。

マイナスの感情が生まれる。

承認のレベルというのがありそうな気がする。

尊敬というのは、最高の承認ではないのか。

相手から請われてそれを受け入れるのも承認か。

承認欲求を満たすことが、人間の行動規範のベースにあるのかもしれない。

いや、あるのだろう。

  • 承認の種類
  • 存在の承認
  • 意見の承認

承認と受け入れの違いは何か?

必要なのはプレゼントじゃない。

相手を認識し、認めること。

そうか、認めることが重要なのだろう。

受け入れすぎると、わがままになる。

相手がすべてを受け入れてくれると思えば、傲慢になる。

それが逆に不均衡を生むのかもしれない。

そう考えると、対等な関係を続けるというのは、かなり難しいと言えそうだ。

どうやったら、対等な関係を続けることができるのか?

これは非常に難しい問題だ。

何をもって対等な関係とするのか。

その基準が曖昧な気もする。

個人的には対話ができる状態が、一つの基準だと考えている。

対話ができない状態というのは、力の不均衡が起きている状態だからだ。

また、嘘をつくというのも、個人的には対等な関係を壊す原因が気がしている。

ただ、これはコミュニケーションの難しさでもある。

何でもかんでも、すべてを言うことが正しいといは限らないということ。

言い方もあるだろう。言い回しもあるだろう。

それを互いに手探りで、温度感なのか、情報伝達のプロトコルを調整していく。

そうか、プロトコルというのは、コンピュータにおける通信のルールみたいなもの。

そのような基準を、お互いのコミュニケーションにおいて、決めておくことで、情報伝達の齟齬が起きにくくなる。

対話のプロトコルか。ちょっと考えてみても良いかもしれない。