
5/17(土) に第454回哲学対話 「私にとっての価値はどうやって決まるのか」に参加した時のメモ。
他の人が大事にしてたものは捨てにくい
他の人が大事にしてたものは捨てにくいとは、そこに価値を感じているから。
つまり、自分のものでなくても価値を感じることができるということでもある。
この言葉を聞いたときに、大事の連鎖を思い出す。
ある物について、自分にとっては大切なものではないけれど、誰かにとっては大切なもの。だから、自分にとっても大切なものになる。
これが連鎖していくことで、あらゆるものが大切になり、戦う相手のこと、攻撃するものについても大事に考えることができれば、戦争とかはしにくくなるのでは?という話。
個人的には非常に良い考えだなと思っていて、他の人のものに価値を見出す能力を高めれば、この大事の連鎖も実現できるのではないか?と思いました。
それは共感なのかもしれないし、単純に価値基準の統一というか、標準化、または共有なのかもしれませんが。
過去の自分も他人
自己連続感だったかな。
つまり、自分が過去と繋がっている感があるかどうかという話。
過去の自分の行いなど、いわゆる黒歴史ににつて、恥ずかしいと感じているときは他人になってない。
逆にそこが切れていれば、客観的に評価できる的な感じ。
で、何が言いたいかというと、何か物事の価値を決めるときに、自己連続感があると過去に引きづられる的な感じだったかな。
ちょっと忘れてしまったけれど。
過去の自分が価値のある行動だと思ったとしても、それに価値があったかを判断するのは自分で、今の自分と過去の自分は同一化どうかみたいな話だった気がします。
未来の自分の奴隷
そのつながりで、今の自分というのは、未来の自分の奴隷なんじゃないかって話。
スクショを公開してくれるという話だったのですが、それがなかったので、完全に自分のメモだけです。