理解するとは自分の本棚を整理する行為なのでは?

投稿者: | 2025年6月8日

思ったことをつらつらと。

理解するとは自分の本棚を整理する行為なのでは?と思ったりした。

本棚というのは記憶。

言うなれば海馬。

で、理解するというのは、海馬の中にある記憶を整理する行為という話。

どう整理するのか?

例えば、同じ著者でまとめたり、同じシリーズでまとめたりすること。

それを繰り返していくことで、本棚が整理されていく。

それが理解するということ。

理解できないというのは、本棚が整理できていない状態。

本棚に本を並べる(情報を入れる)のが知ること。

で、他の本と紐付けできたときに理解が生まれる気がする。

現状のAIは理解できているわけではない。

文章の情報をそれっぽくまとめているだけである。

だから、本質的に違いがある気がする。

ただ、出力だけ見れば、その違いに気づかない。

でも、それは人間も一緒な気がする。

情報を記憶していて、言われたことに対して受け答えはできるけれど、理解してないという状態ってのがある。

本質がわかってないとか、言われたりすることもある。

そう考えると、本質を見抜く力というのは、情報の整理にあるのかもしれない。

情報の整理の根本は、共通項を見つけることな気がしている。

本棚自体も1つではなくて、たくさんある。

それがいわゆる大項目的なもの。

本の棚の何段目とかが中項目的な。

で、その本棚は何個も連続して並んでいて、横の並びも大切なのかもしれない。

つまり、近い内容の本同士は、同じ棚ではないけれど、隣の本棚の同じぐらいの位置にあるというイメージ。

ああ、でもそれって、結局AIの手法にも似ているな。

そう考えると、AIは情報を理解しているとも言えるのかも知れない。

うーん、謎は深まるばかり。


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