
思ったことをつらつらと。
理解するとは自分の本棚を整理する行為なのでは?と思ったりした。
本棚というのは記憶。
言うなれば海馬。
で、理解するというのは、海馬の中にある記憶を整理する行為という話。
どう整理するのか?
例えば、同じ著者でまとめたり、同じシリーズでまとめたりすること。
それを繰り返していくことで、本棚が整理されていく。
それが理解するということ。
理解できないというのは、本棚が整理できていない状態。
本棚に本を並べる(情報を入れる)のが知ること。
で、他の本と紐付けできたときに理解が生まれる気がする。
現状のAIは理解できているわけではない。
文章の情報をそれっぽくまとめているだけである。
だから、本質的に違いがある気がする。
ただ、出力だけ見れば、その違いに気づかない。
でも、それは人間も一緒な気がする。
情報を記憶していて、言われたことに対して受け答えはできるけれど、理解してないという状態ってのがある。
本質がわかってないとか、言われたりすることもある。
そう考えると、本質を見抜く力というのは、情報の整理にあるのかもしれない。
情報の整理の根本は、共通項を見つけることな気がしている。
本棚自体も1つではなくて、たくさんある。
それがいわゆる大項目的なもの。
本の棚の何段目とかが中項目的な。
で、その本棚は何個も連続して並んでいて、横の並びも大切なのかもしれない。
つまり、近い内容の本同士は、同じ棚ではないけれど、隣の本棚の同じぐらいの位置にあるというイメージ。
ああ、でもそれって、結局AIの手法にも似ているな。
そう考えると、AIは情報を理解しているとも言えるのかも知れない。
うーん、謎は深まるばかり。