おしゃれとは〜哲学対話メモ

投稿者: | 2025年5月13日

Philoschole (明治大学哲学専攻有志)が開催しているオンラインの哲学対話に参加してきました。

テーマは「おしゃれ」です。

個人的メモなので、特にまとまりはありません。

服装で人の印象は変わり、印象が変わると対応も変わる

服装によって、その人の印象が変わる。

印象が変わると、対応も変わる。

つまり、おしゃれとは人間関係を良くするツール的なもの。

おしゃれの種類

身だしなみに近いものと、自己主張とがある。

自己主張とは、自己の確立のためでもある。

カテゴライズされることで安心感が生まれる?

好きな服装をすることで、カテゴライズさせたい? またはカテゴライズしたい?のかもしれない。

カテゴライズすることで安心するというのがあるのかも。

自分の場合は、その昔V系のおっかけをしていたけれど、V系のファッションってわかりやすい。

同じ系統が好きなんだということが、周囲に伝わる。

そうすることで、仲間が誰かがわかる的な。

何をもっておしゃれとするのか?

おしゃれな服のしきい値的なものってあるのだろうか?

つまり、何をもっておしゃれとするのか?という話。

これは相対的なところがある気がする。

また、主観も影響する。

だから、何か特定のラインというものは無いかもしれない。

ただ、服がボロボロの浮浪者がいたとして、その人をおしゃれという人はいないだろう。

ある程度の清潔感というのが、ベースにあるような気もする。

おしゃれの概念

おしゃれな服装という話と、おしゃれな場所という話がある。

それぞれニュアンスがちょっと違うかもしれない。

おしゃれな行動というのもある。

ピアスを開ける理由

おしゃれは我慢という言葉がある。痛みを伴うことを我慢する。

自分の外見について考えられているか?

自分のイメージを考えられているか?

なりたい自分になるために、おしゃれをする。

そういう気持ちの部分が大きい。

ピアスについては、前述のカテゴライズに近い面もありそう。

つまり、同化したいのではないかということ。

同調圧力や仲間意識によって、ピアスを開けることもあるのかなとも思った。

ピアスを開ける理由として、自分をデザインしたかった。リデザインすることで、誰かになりたいという意見。

やはり、なりたい自分になるというのがおしゃれをする理由の1つにあると言える。

また、新規的なものを取り入れることで、自分を変えたいという思い。

自分の場合、自分の問題からおしゃれを考えはじめた。

理由は、異性を引き付けたい的な面が強い。

ルッキズムは無くなったのか?

ルッキズムとは、外見や容姿で人を判断したり、差別したりする思想や社会現象のこと。

今の時代はルッキズムは良くないとされている。当たり前だけど。

でも実際問題としては、本音と建前になっているところがあるかなと。

例えば、スーツ姿の人に話しかけられるのと、浮浪者の人に話かけられるのでは、誰しも対応が異なる。

つまり、ルッキズムは存在していると言えるかなと。

また、自分自身感じているのは、服装を変えてから、明らかに周囲の対応が変化してるので。

つまり、見た目で判断されていた。

おしゃれをする理由

おしゃれをする理由は何か?

美しさなのか、尊敬なのか、憧れなのか?

個人的には、自己の確立もあるように思う。

真似かオリジナリティか

ファッション(おしゃれ)って誰かの影響を受けたいものなのか?

つまり、誰かの真似をするのはおしゃれか?みたいな話。

真似をして、そこにオリジナリティをプラスする。

そこがおしゃれなのではないか?

単純にコピーするのは、おしゃれではないかもしれない。

最初にピアスを開けた人

最初にピアスを開けようと思った人は誰か?

ピアスを開けるというのは痛みを伴う。

その痛みを我慢したことが、証になった時代があったのでは?

大人への通過儀礼的なものかもしれない。

つまり、ピアスを開けたという証が他者承認になる可能性はある。

神への誓いを表したのでは?という意見。ありえる。

おしゃれは自己満足で片付けられがち

おしゃれは自己満足で片付けられがちなのはなぜか?

それも自己の確立の一環なのかもしれない。

他者の目というのは自己満足なのか? 他者承認の要素があるのではないか?

自己満足なら、そもそも一人でやれよ。って思ってる。

SNSで服装をアップする必要も無いし、外出する必要もない。

家に引きこもって、鏡を見て自己満足に浸れば良いだけ。

じゃあ、他者承認のためにおしゃれをするのか?というと、そういうわけでもない。

つまり、自己満足+他者承認の両方ある。

自分のためではあるけれど、自分のためではないというのもある。身だしなみ、清潔感的な意味のでおしゃれ。

他の人に、そう見てもらいたいという意識がある。承認欲求を満たしたい。

脱法メッシュカラー

ホテルで働いていた時、服装の規定があった。

メッシュを入れてはダメ。なので、髪を結ぶと見えなくなるメッシュを入れた。

脱法メッシュカラーと呼んでいる。

おしゃれは自己表現

ファッションで自分を表現できるのか?

自己ではなく、ファッションが作品ではないのか?

見た目という作品を作っているだけであって、それは自己ではないのではないか?

また、記号化されたものはおしゃれと言えるか?

文章などの自己表現と、服装の自己表現に違いがある気がするという意見。

文学作品は自己表現ではないのか?

自己の曖昧さを表現する一つとして、ファッションや芸術があると思う。

音楽には歌詞がついている。言葉を重視する人にとっては、それも自己表現と言える。

では、ピアスを開けることで自己表現できているのか?

例えば、絵画の自画像とかはわかる。しかし、風景画は自己表現なのか?

自己表現の中で、何をまずセレクトするのか?

何を選ぶのか?

何を私はおしゃれとしてセレクトするのか?

そこに、その人の個性がそこに含まれていくのではないか。

ピアスがおしゃれの意味

痛みに耐えた、憧れ、尊敬、同化、好きなど、さまざまな理由がありそう。

表現とは、自分が良いと思ったこと、良くないと思った経験を修練して、目に見える形にしたもの。芸術、表現ではないか。

つまり、ファションも、芸術も自己表現になるのではないか。

バンドのTシャツ、センスがあることのアピール?

バンドのTシャツについては、カテゴライズ感が強い気がする。

おしゃれにメリットを感じていない

おしゃれに無頓着なのは、おしゃれによるメリットを感じていないから。

個人的な経験では、世の中、見た目の影響がかなり大きいと感じている。

つまり、メリットはある。

おしゃれの原点

自分に対する自由の問題があるのではないか?

自分の自由を実践する最初の行動の1つがおしゃれ(ファッション)。

また、自分を壊す自由(タバコとかお酒とか)もある。

自分をコントロールできる自由。

自由を実践する、できていることを認識できる。それがおしゃれの原点としてあるのでは?

では、自由の根源とは何か?

個人的には親からの自由、親からの脱却があるのではないかと推測。

つまり、親と自分は違う存在であるという、自己確立。

自己効力感。

自由のイメージ

快適さが伴うものでは?

ファッションにおける自由、快適さを感じているで合っているか?

誰に向けた表現か?

おしゃれするのは、憧れ、尊敬、同化、好きとか、いろいろと理由はある。

家にいるときは、おしゃれしない。確かに。

真似はおしゃれか

ファッションに限らず、私たちの営みはすべてそうではないか?

学ぶとは真似ぶである。

真似た上で、プラスアルファがある。

ルールなどもそう。

例えば、ドレスコードというのがあるが、そのドレスコードをうまく使いこなして、表現できた人がおしゃれ。

ドレスコードを理解した人への表現。

また、服を着ることで、自分自身に向けての表現、例えば仕事に取り掛かるぞ!と言ったスイッチ的なところもあるのでは?

ファッションショーは哲学

パリコレなどのファッションショーは、一般の人に理解されたらダメという印象。

ファッションショーは哲学みたいだなと。

ニーチェの言葉に、

すべての深い思想家は、誤解されるよりも理解されることを恐るものだ。誤解されて苦しむのは、彼の虚栄心だけだろう。

というのがある。

ある意味、ファッションショーは学問なのかも。

不快感を与えないためのおしゃれ

不快感を与えないためだったら、個性は埋没するからおしゃれではないのでは?

自己満足は個性になるのでは?

個性的な服がおしゃれと言われる。

それは、TPOの問題かも。

「TPO」とは、Time(時)、Place(場所)、Occasion(場合)の頭文字を取った略語で、時と場所、場面に応じて、ふさわしい振る舞いや言動をすること、または服装などを使い分けること。

個性を出すおしゃれてと個性を埋没するおしゃれがあるのかもしれない。

スーツなどは個性を埋没するもの。でも、その中で、おしゃれな部分は作れる。

誰かに認めてもらいたい

自己表現や自己満足で個性的なファッションをしても、誰かに認めてもらいたいという思いがあるのではないか?

もしかすると、同じ感覚の人に見つけてもらいたい?という思いがあるかもしれない。

芸術というか情報を発信することは、誰かに知ってもらいたい、理解してもらいたいという欲求があるのではないか?

表現することって楽しいことですか?

なぜ表現するのか?

他者承認、他者理解を求めているのでは?

過去の経験からメリットを感じ実践する。

メリットは自分の感情かもしれないし、実際に良い対応をしてもらえるとか。

キャラクターのTシャツを着ている理由

自分が好きな人のところにお金がいってほしい。

キャラクターに関わっている人にお金がいくことで、好きなキャラクターが少しでも長く残っていくように。

推し活的な。そこにおしゃれという感覚はないが、それはおしゃれか?

表現することで人との距離を縮めたい?

すべては、人と人との距離を縮めたいかどうかではないのか?

自分の意図通りに表現できるか。

自分の意思で表現するかしないか。

情報が表に出るものであれば、表現になってしまう。

自分の意図通りに伝わることはない。

ただ、情報のやり取りが発生したことで、人と人との距離感が変わる。

距離が縮まる人もいれば、遠くなる人もいる。

好きな服を着る理由

自分好きな服を着ていないというのは、風呂にずっと入っていない感覚。

自分が好きなものを着ていないことに対する不快感がある。

縛られているような感覚。

だから自分が好きなものを着る。

感覚を中心とした自分。自分を評価した自分。

また、好きなもので満たされた世界で過ごしたいというのもある。

自分も家にいるときは、適当な服を着ているが、そうは言っても、選びはする。派手なピンクの服とかは着ない。

それもおしゃれの1つと言えるかも知れない。

つまり、自分が他者からどう見られたいのか?という点で。

非日常感がおしゃれ

おしゃれには目的がある。

なんのためにおしゃれをするのかは人によって違う。

他人、鏡の中の自分を満足させるため。

ハレとケ、普段とは違う、非日常感がおしゃれという言葉ある。

おしゃれの意味が2通りあるのでは?

着飾る。おしゃれを頑張ってするぞ!という能動的なおしゃれ。

出来上がったものが洗練されて見えておしゃれに見える。

結果として、シュッとしたおしゃれなものが出来上がっている。受動的なおしゃれ?

主観と客観に還元されるのでは?

めかしこんだときのおしゃれというのは、自分自身が権利をもったおしゃれ。

おしゃれに興味がないならば、何を着ても良いのでは?

例えば、推しの子のTシャツを着るか?

自分の見た目に興味があるかどうか?がおしゃれかどうかの境界線?

気を使っていることはおしゃれか?

気を使っていることはおしゃれではないのでは?

他者を想定している点で、おしゃれになる可能性がある。

他者がいる、つまり他者からどう見られたいのか?という思い。

他者承認。

人からどう思われても気にしないという人はおしゃれではない。

でも、そうは言っても着るものを選んでいる。

本当におしゃれに興味はないのか?

他者からどう思われても良いのか?

意識的、無意識的に、他者の状況を捉えているのではないか?

おしゃれは相対的

例えば、無地の白いTシャツにジーパンの人が100人いる中で、キャラクターのTシャツを着た人がいたら目立つ。

おしゃれに思われる。

一方で、下北沢にキャラクターTシャツにジーパンを履いていったら、浮く。

つまり、おしゃれに見えるか、おしゃれかどうかは相対的なところがある。

おしゃれとは〜哲学対話の感想

ここからは、哲学対話後の個人的な感想的な。

おしゃれして他者から評価されるのが怖い

まず、自分は昔はおしゃれに興味はありませんでした。

いや、正しくは、おしゃれに興味がないフリをしていたというのが正しいですね。

本当はおしゃれになりたいけれども、おしゃれをすることで、他者から変に見られるのが怖かったというのもあるかなと。

つまり、自分ではおしゃれのつもりで着ているのに、おしゃれじゃないと思われたら、怖いということ。

他者承認、他者に評価されるのが怖い。自分のセンスが評価されるのが嫌ということです。

これは、小説などのクリエイティブなことにも言えますね。

自分が変わろうと思ったきっかけは、やはり異性かなと。

服装を変えることで、異性からの評価を上げたいという思いです。

最初は探り探りというか、本当に大丈夫かなという恐怖感がありましたが、結果として異性からの対応がかなり変わったこともあって、服装はそこそこ意識するようになりました。

おしゃれは相対的でマーケティング

ちなみに、自分はたまにおしゃれだと言われることがありますが、実際にはおしゃれではないです。

おしゃれは相対的なもので、おしゃれを気にしない人たちの中に、ちょっと服装を気にしている人がいたら、おしゃれに見えるだけの話。

なぜなら、下北沢散策に行ったときに、みんなおしゃれすぎて、歩きながらちょっと肩身が狭い感じがしました。

なので、モテるということを考えるなら、おしゃれをしておしゃれじゃない人が多い場所に行くと良いという話。

マーケティングですね。

これは、女性でもそうかなと。

オタサーの姫とかが一番わかりやすいかも。オタク系の趣味って女性が少ないので、女性がもてはやされます。

これもマーケティングです。

オタク系の人だから、人間的にダメということは無いですし、金を稼いでないわけでもないですから、自分が求めている条件が合う人がいるなら、全然ありな戦略かなと。

あと、見た目ってある程度変えることができるので、付き合いそうだなと思ったら、服装や見た目をコーディネートするという手もあります。

おしゃれは自信になる

また、服を選ぶ時の基準みたいなものを決めていて、基本的にセンスではほとんど選んでいません。

機械的に、これはOK、これはダメみたいな感じ。

なので、おしゃれというよりも、身だしなみの延長として考えています。

また、服装を変えたことで、周囲の反応が変わり、それが自信になったのもあるかなと。

自分に自信が持てると、それがまた周囲に伝わり、好循環を生みます。

これはおしゃれの明確なメリットです。

おしゃれすると世界が広がる

単純に、おしゃれをしようと思えば情報を集めることになるので、世界が広がるというのもあります。

ただ、個人的に一番大きいなと思っているのは、参加できる場所が増えることかなと。

例えば、おしゃれな人が集まる場と、おしゃれじゃ無い人が集まる場があったとします。

おしゃれな人はどっちも参加できますが、おしゃれじゃ無い人は、おしゃれな人の集まる場に参加しにくいですよね。

というか、自分はそうです。

つまり、おしゃれじゃない人は、参加できる場を狭めているということ。

それが、世界を狭めることになってないかなあという話です。

また、おしゃれな人って、話しかけられやすいというのもあります。

自分は服装を変えてから、明確に異性から話しかけられる数が変わりました。天と地ほどの差があります。

人との交流という意味でも広がるんじゃないかなって。

なので、おしゃれはした方が良いというのが個人的な考えです。

余談:哲学対話の問いの決め方

キーワードを2つに絞ると話題を収束させやすいかもしれないなあと。

自由に問いを作っていくと、かなり幅広くなる気がしているので。

また、自由に問いを作った後に、それをカテゴライズする際にもキーワードでまとめるのが良い気もしました。


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