
思ったことをつらつらと。
嘘で人を操っていた時期がある
これはあくまで個人的な話ですが、その昔、嘘をついて相手を騙して、自分の利益になるように、人を動かしていました。
嘘で相手をうまく操るというか。
相手は騙されていることに気づいていないので、表面上はうまくいきます。
嘘を吐き続けることに疲れた
ただ、ある時、嘘を吐いて生きることに疲れてしまったんですよね。
嘘って、自分はわかっているので、そこに罪悪感もありますし、嘘がバレないように気を使ったりもします。
そうやって、嘘に対して時間を費やしていることに、虚しさを覚えたというか。
相手との関係性において、嘘をついているので、どうやっても嘘の関係でしかないですよね。
嘘の関係なので、そこに価値を感じてはいません。
ただ、嘘の関係によって、得られる利益だけ享受していたので。
つまり、目的が利益の享受であって、人間関係の深まりとか、信頼性とか、そういうのはどうでも良かったというか。
価値の無い人間関係に費やす時間は無駄で無意味
価値の無い嘘の人間関係に時間を費やせば、その分、他の部分に時間を使うことができません。
価値が無い嘘の人間関係ですから、将来的にどうやっても発展することは無いでしょう。
だって、嘘の関係ですからね。
むりやり意味があると思い込めるのは人間の特技ですが、それはサンクコストの呪縛でもあって、無駄かなと。
今、自分は48歳で、よりそういう無駄なことに対して時間を費やしたくないと考えています。
信じてくれる人、わかってくれる人、大切な人に時間を使う
それよりも、自分を信じてくれる人、わかってくれる人、大切な人に時間を使った方が良いかなと。
それらの人間関係には価値があり、将来、良い人間関係を築くことができるためです。
困った時に、助けを求めることができる場所というか。
嘘の人間関係には、それがありません。
そもそもが嘘ですから、虚構の人間関係なんですよね。
あくまで、個人的にですが、そういう虚構の人間関係に対する時間って、意味が本当にないなと。
残りの人生の時間を考えれば、虚構の人間関係に時間を費やしている暇も無いというのも本音。
そんなことを最近、思っています。