
思ったことをつらつらと。
人の性は悪である
荀子 ビギナーズ・クラシックス 中国の古典を読んで、鋭い指摘というか、言っていることに納得できることが多かったです。
荀子は性悪説を唱えていて、孟子の性善説と対をなすようなイメージ。
ただ、実際に読んでみると、荀子の性悪説って、人間って何もしなければ野生動物と一緒よねって話で、それを悪と表現しているにすぎないことがわかります。
で、自分も同じように考えていて、成長してく中で、道徳とか倫理とか、法律とか、いろいろと学びながら、社会の中で生きていくルールを覚えるみたいな感じ。
このルールが言ってしまえば、善なのかなって。
なので、自分は、善悪の定義と考察〜善とは何か? 悪とは何か?で、善悪を
- 善とは社会の利益を追求する行動
- 悪とは個人の利益を追求し、結果として他者や社会に不利益をもたらす行動
と定義しています。
絶対善とかは存在しない立場です。
自分の利益を追求するのが人間
ただ、本質的に人間って、自分の利益を追求してしまうものだと思っています。
上記で言えば、悪的な行動ですね。
それが、本能的なものであれ、打算的なものであれ、自分の利益を求めてしまうという話。
人間の黒い部分
で、それを断じるのは簡単なのですが、個人的にはそういう部分もあって、人間だと思っています。
その自分の利益を追求してしまうというのが、人間の黒い部分という感じで、個人的には考えています。
だから、人間って誰しも、何らかの黒い部分があるということです。
黒い部分も出せる相手が大切な気がする
自分も聖人賢者ではありません。
正直、黒い部分ってあります。
で、そういう黒い部分って、どうしても隠しがちというか。
当たり前ですけど、黒い部分を出したら、嫌われてしまったり、否定されたり、非難されたり、するので。
でも、そういう黒い部分を出せる相手いたら、それってめちゃくちゃ貴重なんじゃないかなって。
言ってしまえば、心理的安全性が確保されている、つまり、信頼されている、信用されているの裏返しというか。
そういう相手がいたら、大切にしたいなと、今は思っています。
また、相手が黒い部分を出してくれたら、それをちゃんと受け止めようとも思っています。
だってさ、人間なんだもの。真っ白な人なんていないでしょ。
黒い部分があっても良いじゃない。
重要なのは、そこを含めて、繋がりを保てることじゃないかなって。
自分は大切だと思った人については、基本的にそういう覚悟を持って、接しています。
ただ、それって、伝わらないんだよなあって。
それが残念でもあり、悲しくもあり、悔しくもあり、って感じ。
すべてを受け止めることが信じる
何が言いたいかというと、すべてを受け止めることが、自分にとって信じるってこと。
別に相手の言葉を鵜呑みにして考えることを放棄したり、相手の言う通りに動くロボットになるのことじゃないです。
受け止めることなんだよなあと。
それが、「握った手を離さないこと、手放さないこと、自分で選ぶこと、それが信じるということ」です。
俺からは手を離さないし、手放すことはない。でも、自分で考え選択することを放棄しないです。
放棄した時点で、それは信じるではなく、服従なので。