
3/22に開催される
【特別講座】個性的に生きるとはどういうことか?ーー西田幾多郎と宮沢賢治/第0回 「個性」をめぐる哲学対話
が面白そうなので、申し込みをしました。
Zoom参加で見る専OKのタイプというか、そもそも哲学対話をしている人を見るという形式です。
で、申し込みにあたって、
身の回りで感じる「個性」にまつわる問いを教えてください *
「個性」について日常の中でふと抱く違和感や、仕事や人生で直面する課題など。例:個性とは何か?個性はあった方がいいのか?etc.
という項目があったので、以下のように送りました。
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人間に個性があるのは、多様性と同様、環境適用、適者生存のためのDNAの仕組みと考えています。
そのため、あった方が良いとか、無い方が良いというわけではなく、DNAの縛鎖によって発生してしまうもの。
で、個性と社会とのバランスをどう取っていくか?が重要ではないかと個人的には考えています。
つまり、失われる個性を残すべきかどうか?みたいな。例えば、サイコパスやシリアルキラーだって個性です。
それらの個性を社会として、人類として残すべきなのか?みたいなこと。
個性が重要、多様性が重要というのであれば、そのような人たちも社会として受け入れるべきだけど、今の社会では受け入れられていません。
それは他者に不利益をもたらすからで、社会によって個性が殺されているとも言えなくはないでしょうか?
—
まあ、何となく気づいた方もいると思いますが、元ネタは銀河英雄伝説の劣悪遺伝子排除法です。
銀河英雄伝説の方は、知的能力や身体機能に異常がある者、あるいは学習・労働意欲が希薄な者が遺伝的に劣悪であると定義し、そのような遺伝子を排除していくというもの。
で、そんな社会は酷いなあって話なのですが、現代においては、サイコパスやシリアルキラーがそういう目に遭ってるんじゃないの?ってのが言いたかったことです。
サイコパスについては、
サイコパスに学ぶ成功法則 – 自分をコントロールして良いサイコパスになろう | ネルログ
という本を読んで、サイコパスの特性にも良いことがあるという認識を持っています。
前述の本では、その良い特性をうまく使っていこうという話で、別にサイコパスになろうってことじゃありません。
なので、そういった個性を無くそう、社会から排除しようというのは、劣悪遺伝子排除法と一体何が違うのか?なあとか。
結局は、社会とのバランスな気がしていますが、じゃあ、そのバランスって誰が決めてるのか?というと、何となく的なところが大きい気もします。
というのも、状況によっては必要とされるかもしれない能力だからです。
今の社会にはそぐわないだけですが、社会が変われば、必要とされるかもしれません。
まあ、本編で取り上げられるような内容ではないですが、何かを考えるきっかけになれば幸いです。