※これはあくまで個人的な観測に基づく、推測などを含めた内容です。正しいかどうかはわかりませんが、そんな風に考えている人がいるぐらいに思ってください。
最近、個人的に思っていることがあって、それは国は物への投資ではなく、人へ投資すべきではないのか?ということです。
いわゆる箱物と呼ばれる物ではなく、人自身をお金で支援するという話。
また、この物には、会社や活動などの概念的なものも含むと考えています。
投資というというよりも補助金と言った方がわかりやすいかもしれません。ただ、ここでは投資という言葉で統一していこうと思います。
目次
箱物が良くない理由
箱物が良くないと考えている理由としては、
- 今後人口が減っていくため利用者が減る
- 維持費(ランニングコスト)がずっとかかる
の2つが大きく挙げられます。
日本の人口は、今後減っていく一方です。つまり、利用者が減るということは、かけたコストに対するリターンが下がっていくことを意味します。
ここでのリターンは利益ではありますが、収益ということではなく、税金を払っている国民の恩恵という意味です。
また、利用者が減れば、その維持費にかかる国民1人あたりの費用が相対的に上がっていくため、負担も大きくなります。
これは道路なども一緒かなと。
次に、維持費(ランニングコスト)。これもコストに対するリターン的な点もありますが、やはり毎年ずっとお金がかかってしまうのが、個人的には痛いと考えています。
最近の言葉で言えば、サブスクリプションモデルと一緒なんですよね。
こういう維持費って、1つ1つは小さいのですが、積み重なっていくと大きくなっていき、いつの間にかかなりのお金を支払うことになってしまいがち。
インターネットサービスのサブスクリプションは、サクッと辞めることができますが、箱物などになると、辞めることが難しいです。
建物を壊すのにもお金がかかるというのもありますし、そこで発生している雇用もあるため。
ただ、結果として、これらの物に対する投資が、ボディブローのように効いてきて、予算を圧迫していると考えています。
テクノロジーや活動への投資は意味があるのか?
テクノロジーや活動への投資は、意味がないかと言えば、そんなことはありません。
ただ、会社については、正直水もの的な部分があり、ギャンブル性が高いかなと。
ベンチャー企業については、100のうち1つが成功するかどうかと言われていて、上場となるとさらに確率が下がっていきます。
なので、現在は母集団を増やすことで成功する企業を増やすという戦略が基本かなと。
運が悪ければ1000社に投資しても、1000社とも失敗する可能性があります。
予測精度を上げればという話もあるかもしれませんが、そもそもそれができれば、すでにユニコーンと呼ばれる企業が日本でもたくさん誕生しているでしょう。
なにせ、アナリストと言われる人たちは、日本の優秀な頭脳が集まっているので。
しかし、結果は出ていないと言わざるを得ません。
次に、活動についてですが、なかなか政府の手の届かない草の根的な活動への投資というのは、意義もありますし、良い面もあるとは思います。
ただ、政府の手の届かない草の根的な活動ということは、政府としてはその活動の詳細を把握しにくいということの裏返しでもあります。
当然、活動報告は出されていますし、まったく活動していないということは無いでしょう。
けれど、それを監視・監査する組織が無いですし、活動の成果を図る指標もありません。
つまり、コストに対してのリターンをちゃんと測れていないものが多いというのが個人的な観測です。
最近では、会計がザルだった組織や、活動実態が無いと思われる組織、活動の主体者がそもそも犯罪をしていたなど、不祥事が起きています。
癒着の温床になっていないか
これも度々報道されたりしますが、官公庁からの発注について、癒着の温床になっている可能性が指摘されることがたびたびあります。
発注先の会社から、政治家、または関連組織への政治献金などがその典型例ですね。
裏金問題なども同様かなと。
法律上では問題ありませんが、そもそもその法律を作っているのは、政治家や官僚の方たちで、言ってしまえば逃げ道をしっかり用意して法案を作っているわけです。
個人的にはバックドアみたいな印象を持っています。
会社や活動への投資というのは金額的にも大きくなりますし、その分、癒着というか不正の温床になりやすいかなと。
正直、政治資金や天下り先というのは、キックバックと一緒だと思っています。
便宜を図ることで、利益を得ているので。
これは人によって捉え方が違うかもしれませんが。
ただ、こうした癒着構造というのが、個人的には失われた30年を作ってしまった結果だと思っています。
眼前のニンジンではなく、未来のゴールを目指すべきでは?
というのも、眼の前キックバックという利益ばかり追うというのは、先の未来を見ていないからです。
もちろん、眼前のニンジンは欲しいですから、たまにニンジンに釣られてしまうのは人間の性。
それをすべて無くすことは難しいでしょう。かくいう自分自身のことを考えても、いざ大金を積まれたら心が揺らぎまくってしまいます。
ただ、それは一時的には良くても、将来的に良いかどうかはわかりません。
というか、基本的には将来的に良いことはほとんど無いでしょう。
それは個人的な経験則的な面からもそうですし、過去の賢人たちや多くの書籍でも書かれていることです。
先のゴールを見据える大切さは、多くの人が理解している点だと思います。
つまり、眼の前のニンジンにずっと踊らされ、30年先を見ていなかったために、失われた30年になってしまったというわけ。
そもそもバブル期まではそれでもまったく問題ありませんでした。
イケイケドンドンで、金がガンガン回っていたし、総中流社会と言われ、多くの人がそれなり潤っていたからです。
バブル崩壊後は、それを立て直すために、能力主義や成果主義が導入され、民間はちょっとずつ変化していきました。
しかし、政治家や官僚は、変わることができなかったというのが個人的な観測です。
だから、未だに裏金問題や天下りが問題になっています。
本来であれば、裏金問題や天下りは、能力主義や成果主義から考えれば無くならないと変です。
いやいや、キックバックで成果を出しているじゃないかという意見もあるでしょう。
しかし、それは本人の能力ではなく、権力に寄るものです。
肩書きや権力が無ければ、吹き飛んでしまう、幻影と言ってもよいかなと個人的には思っています。
なぜなら、本人の能力や成長を促すものでは無いからです。
で、話がグッと最初に戻って来ます。
つまり、肩書きや権力によって物へ投資というか、キックバックを元にしたお金の配分は、幻影でしかなく、個人の能力や成長を促すことは無いため、辞めたほうが良いのではないかということ。
その代わりに人の学びや成長への投資をした方が良いのではないかと個人的には考えています。
人の学びや成長への投資が重要なわけ
国とはそもそも国民がいなければ成立しません。
そして国民1人1人のチカラの総和が国力だと自分は考えています。
企業のチカラの総和ではなく、国民1人1人のチカラの総和というのがポイント。
企業に投資して、企業を強くするのではなく、その企業を成長させる人に投資して、結果として強い企業にするという話です。
それが引いては国を成長させ、強い国を作ると個人的には考えています。
企業において人材育成が重要であるというのは、当たり前のことでありますが、今の日本においては、人材育成という点がかなり疎かになっているかなと。
なので、人への支援をもっとすべきだと思っています。
例えば、研究での成果に投資するのでは無くて、研究をしている人に投資するという考え方です。
結果として同じような支援になるかもしれません。
ただ、支援を人にフォーカスすれば、その人が自身の価値を高める方向へ動くので、人材が育っていくのではないか?というのが個人的な推測です。
人は失敗するが、立ち上がることができる
また、人に投資したとしても失敗することはあります。
ただ、人は再び立ち上がることが可能です。
何かの事業に失敗した場合、その事業への投資は意味が無かったという結論になるでしょう。
しかし、人へ投資した場合、その人自身は、たとえ失敗したとしても、その失敗経験を元に次の成功を生み出す可能性があります。
投資した分は、確実にその人の経験値になるでしょう。
個人的には、そこがもっとも重要ではないかなと思っています。
学習・成長ベーシックインカム
と、少しぼんやりした話ばかりでは意味が無いかなと。
で、個人的に今考えているのは、学習・成長ベーシックインカムです。
ベーシックインカムとは、国民全員に定期的にお金配る富の再分配システム。
日本でも何度か議論されていますが、ベーシックインカムを導入すると働く人がいなくなるという懸念がずっと言われて続けています。
個人的にはそれは杞憂だと思っていますが、であれば、そこにインセンティブというか、ベーシックインカムを得るにはそれ相応の資格を求めるというのはどうかな?というのが、学習・成長ベーシックインカムです。
簡単に言えば、学びや自身の成長のための活動をしている人はベーシックインカムがもらえるというもの。
学びや成長をどのように計測するのか?という問題はありますが、毎年試験をするというのが結構面白いかなと思ったりしています。
毎年の試験によって、個々人の教養レベルを保ちつつ、学び続けることが当たり前の社会にするということです。
これらの学びや成長は、個人事業主であっても、会社に勤めていたとしても、必ず役立つものです。
それは社会の土台になるとも思っています。
また、学びや成長によって、自分の価値が高まれば、当然自信もでてくるでしょう。
いわゆる自己肯定感を高めるのにも一役買うのではないかなと。
と、アイデアレベルの話ではありますが、少なくとも物にお金を出すよりも、人にお金を配った方が、それも学びや成長というリターンを得られるのであれば、人財大国になれる可能性があるのではないでしょうか。