目次
評価・レビュー
☆5/5
フランス革命をはじめ、主権は国民にあるという考え方の基礎となった著作。
読みやすい翻訳と解説があって、かなり理解しやすかったです。
以下は本書から引用しながら、個人的に思ったことなどのメモ。
君主や立法者としてのあり方
わたしが君主か立法者であったならば、
ルソー. 社会契約論/ジュネーヴ草稿 (光文社古典新訳文庫). 光文社. Kindle 版.
自分がなさねばならぬことを語って時間を浪費せずに、
なさねばならぬことをするか、
あるいは沈黙を守るだろう。
本書の序盤にある言葉で、個人的にはいろいろと考えさせられました。
単純に君主や立法者としてだけではなく、仕事などにも言える言葉のように思います。
あーした方が良い、こうすべきだなどと、語ることも大切ではありますが、それに終止してしまうと、何もはじまりません。
行動することが大切という話。
政治について言えば、国会討論でのらりくらりと追求を交わしたり、国民の利益にならないような質問で時間を浪費し、議論すべき法案がさらりと流されてしまったりすることが良くあります。
そのような状況も、なんとなく近いのかなと。
なすべきことは、国民の利益を追求、守ることであって、自身の利権を守ることとか、政権を取るとか、そういう話ではないんじゃないかなと。
国家は公益を目的として設立し、その力は一般意志によって行使される
国家は公益を目的として設立されたものであり、この国家のさまざまな力を指導できるのは、一般意志だけだということである。というのは、社会を設立することが必要となったのは、個人の利害が対立したためであるが、社会が設立できたのは、これらの個人の利害を一致させることができたからである。
ルソー. 社会契約論/ジュネーヴ草稿 (光文社古典新訳文庫). 光文社. Kindle 版.
ルソーの言う一般意志とは、国家に属するすべての市民の合意という感じ。
市民という言葉を使ったのは、本書の以下の文章から。
構成員は集合的には人民(プープル)と呼ばれるが、主権に参加する者としては市民(シトワヤン)と呼ばれ、国家の法律にしたがう者としては国民(シュジェ)と呼ばれる。
ルソー. 社会契約論/ジュネーヴ草稿 (光文社古典新訳文庫). 光文社. Kindle 版.
究極的には、人民=市民=国民で、国の規模によって形が少し変わると書いています。このあたりは自分の理解がちょっと間違っているかも。
また、ルソーは単純に多数決で決めるというわけではなく、主権を持った者が参加が様々な意見を出すことが重要とも言っています。
その意見は個人の利益から出た個人意志ではあるものの、それらを集合していくことで、一般意志になっていくという考え方のようです。
要は様々な意見があって、その合意形成によって一般意志が生まれるという話。
それぞれが個人意志であっても総合していくと、全体にとってもっとも利益のある結論に落ち着くだろうということかなと。
ただし、小さな国では可能性があるものの、大きな国では実現が難しいとも書いていました。
一般意志をAIで
ルソーの言う一般意志は、なかなか形にすることが難しいようにも思いました。
しかし、現代のテクノロジーを使えば、もしかすると一般意志を形にすることができるかもしれないと、個人的に考えています。
具体的にはAIを使って一般意志を導き出すという話。
例えば、Aという法案について、国民全員から意見を募ります。
そしてそのデータをAIに学習させ、全体の総意としてまとめてもらうわけです。
それぞれの意見を出すには、例えばマイナンバーカードが必要とすれば良いでしょう。
日本の人口を約1億とすると、全体の流れを特定の方向に導くには5000万人を引き入れる必要があります。
それぞれが提出した意見を確認するには、膨大な時間がかかるでしょう。
つまり、不正をしにくい状態と言えます。
単純な投票ならばともかく、意見ですから、それぞれ内容を変える必要もあります。
書かされたような意見というのは、AIで見抜くことができますし、もし不正を働いたことがわかれば、永久BANすれば良いだけです。
これは主権の放棄ですから、非常に重い罰ですし、それを強制した者がいたとすれば、さらに重い罪を課することで、不正をさらに防ぎやすくなるのかなと。
欠点としては、どれだけの人が参加し、意見を述べてくれるのか?ですが、そのあたりは報酬があれば、なんとでもなるかなと。
例えば、ベーシックインカムとか。意見を提出しなければ、ベーシックインカムが無くなるというデメリットがあれば、必ず意見を提出するんじゃないかなと。まあ、マイナポイントでも良いですけど。
AIを使って一般意志をある程度把握することができれば、政治はかなり変わってくるようにも思います。
投票に行かないのは同意しているのと同じ
主権者に、首長の命令に反対する自由が与えられていて、あえてこの命令に反対しないときには、それは一般意志として通用するのである。全体が沈黙しているとき、人民は同意しているものとみなされるだろう。
ルソー. 社会契約論/ジュネーヴ草稿 (光文社古典新訳文庫). 光文社. Kindle 版.
様々なメディアで若い人たちに選挙参加を呼びかけていますが、一向に若者の投票率は上がりません。
まあ、これは仕方がないことで、若いときに政治に興味を持つというのは難しいからです。
個人的には高校生ぐらいから選挙自体が好きで、選挙特番をかぶりつくように見ていましたが、そういう人は珍しいんだろうなと。
ちなみに、個人的には投票に行かなければならないとは思っていません。
「投票に行かない=何が起きても同意」なので、何も問題を感じていないのであれば、投票に行く必要は無いという考え。
若者の投票率が上がらないのは、日々の生活におそらく不便を感じていないからかなと。
なので、そこの話をせずに、とりあえず投票に行こうというのは、結構違和感を感じています。
もし投票に行かせたいのであれば、若者が如何に損をしているかを、もっとわかりやすい形で伝えるべきでしょう。
例えば、100万の収入に対して、約60万円が税金として取られていて、それが今後もっと増えていくという話。
昔は税金が今よりも低かったので、本来であればもっとお金が貰えるはずだったのです。
ところが、社会保障という名目で増税が進み、どんどん貰えるはずのお金が貰えなくなっています。
単純に税負担がどうこうではなく、本来貰えるはずだったお金が貰えないことを、もっと強調すべきなのかなと。
個別意志は命令であるにすぎない
意志は一般意志であるか、そうでないかのどちらかである。すなわち人民全体の意志であるか、人民の一部の意志にすぎないかのどちらかである。それが人民全体の意志である場合には、表明された意志は主権の行為であり、法となる。それが一部の人民の意志にすぎない場合には、それは個別意志であるか、行政機関の行為にすぎず、せいぜい命令であるにすぎない。
ルソー. 社会契約論/ジュネーヴ草稿 (光文社古典新訳文庫). 光文社. Kindle 版.
この文章を読んだとき、真っ先に頭に浮かんだのは、AV新法でした。
業界団体の話もろくに聞かずに法律が制定され、結果として現在新たな問題として、立ちんぼについて議論されています。
AV新法の理念としては理解はできるものの、個別意志によって法律を作ったことによって歪みが生まれてしまったという話。
そしてそれは、法ではなく命令であるということです。
これはまさに権力の濫用と言えるでしょう。
本書では、
政府が主権者と混同されることが多いが、これは間違いである。政府は主権者ではなく、主権者の召使い[執行人]にすぎない。
ルソー. 社会契約論/ジュネーヴ草稿 (光文社古典新訳文庫). 光文社. Kindle 版.
という言葉がある通り、政府自体は主権者ではないですし、政治家自体も同様です。
AV新法については、かなりの反対がありました。実際に当事者の方たちも反対していたにも関わらず、無理やり成立させています。
一体、主権者は誰なのか?
国民が反対しているのに、政治家が自身の個別意志で法律を作れてしまう現状は、正直、非常に良くない状況のように個人的には思っています。
ルソーの言葉を借りれば、
自由なのは、議会の議員を選挙するあいだだけであり、議員の選挙が終われば人民はもはや奴隷であり、無にひとしいものになる。
ルソー. 社会契約論/ジュネーヴ草稿 (光文社古典新訳文庫). 光文社. Kindle 版.
という感じ。
選挙で当選さえしてしまえば、あとは好き放題できてしまうのは、由々しき事態ではないでしょうか。
これから東京都知事選が行われますが、そこでも候補者たちは多くの公約を掲げるでしょう。
でも、公約がどれだけ守られたのかについては、ちゃんとデータとして紹介されることはありません。
というか、実際に公約が守られることって、どれほどあるのでしょうか?
個人的には、今後の公約も大切ですが、それよりも過去の公約達成率の方が重要な気がしています。
過去にどれだけ達成しているから、今後も公約をどれだけ達成できるかの目算ができるためです。
それは投票の指標として、とても重要ではないかなと。
また、公約については、曖昧なものも多数あります。
そこも今後の改善点かなと。
具体的な数値が大切な気がしていますし、それには東京都にしても、政府にしても、情報開示が必要のように感じています。
まあ、実際には難しいんでしょうけど。日本政府は少し大きくなりすぎて、複雑化させることで、国民の参入をうまく拒絶しているので。
ただ、今の政治家や官僚のように、自分たちの個別意志、つまり自分たちの利益を優先していくと、っ必ず国は崩壊します。
為政者はつねに自分の利益を退けて仕事をすべきであり、
ルソー. 社会契約論/ジュネーヴ草稿 (光文社古典新訳文庫). 光文社. Kindle 版.
思慮によって、あるいは徳によって導かれないかぎり、
やがてはみずからの没落か、国家の没落をもたらすことになるのである。
流石に清廉潔白な人は存在しないので、ある程度の旨味は必要なのだろうなとは思いますが、少なくとも今は、かなり優遇されている状態というか、利権によって私腹を肥やしている状態ではあるので、改善は必要なんだろうなと。
裏金の問題についても、どう考えたって裏金なんて無いのが正しい状態で、なんで裏金が必要な前提で話を進めているのかが個人的にはわかりません。
政治には金がいるとは言います。
であれば、金があまり必要ではない政治システムを作るのが、本来あるべき姿なんですよね。
マスコミも含めて、なぜそこにメスを入れないのか、個人的にはわかりません。
選挙についても、街頭演説とかもう不要じゃないかなって。ネット選挙で良いんじゃないかなって。
少なくとも街頭演説するよりも、インターネットで情報を発信した方が、より多くの人に届きますし、あとから見返すこともできますし、お金もかからないと思いますけど。
戸別訪問とかも、やめたほうが良いと思いますしね。
動画配信しながら、コメントに対して回答するという方法で、有権者の意見を聞くという方法もあるかなと。
何にせよ、ネット選挙へ移行しないのは、選挙はお金がかかることにしたいからで、お金がかかるから裏金がいるという話になっている気もしています。
最悪の政府
人民が減り、衰微してゆく政府が最悪の政府である。
ルソー. 社会契約論/ジュネーヴ草稿 (光文社古典新訳文庫). 光文社. Kindle 版.
統計学者よ、これからは君の仕事だ。数え、測定し、比較せよ。
まさに、今の日本かなと。
世襲は最悪
世襲による貴族政は、あらゆる政府の中でも最悪のものである。
ルソー. 社会契約論/ジュネーヴ草稿 (光文社古典新訳文庫). 光文社. Kindle 版.
ルソーは貴族制と言っていますが、日本では貴族ではないのに世襲が行われているという奇妙な状態。
おそらく、ルソーも日本のような世襲政治が行われるとは、想像していなかったんじゃないかなとか思ったりしました。
そもそも優秀な親の子どもが優秀かどうかは、わかりません。
ですので、世襲ということ自体、問題なわけです。
しかし、日本の政治家には二世三世が非常多く、まさに世襲政治になっている状況。
Wikipediaから、今の岸田総理の親族部分を抜き出してみましたが、開いた口が塞がりません。
子女 | 長男・岸田翔太郎(元内閣総理大臣秘書官) |
---|---|
親族 | 祖父・岸田正記[3](衆議院議員) 父・岸田文武[4](衆議院議員) 従兄・宮澤洋一[3][5](参議院議員、第19・20代経済産業大臣) 叔母の義兄・宮澤喜一(第78代内閣総理大臣) |
これが普通にまかり通ってしまうのが、今の日本の政治なわけです。
ところが、マスコミはこれらについてはほぼ触れることはありません。
きっと、優秀な人の子どもは、絶対優秀であるという、何か統計的な確固たるデータがあるんでしょうね。
今の日本の政治を変えるには、世襲議員を無くすことでしょう。
もちろん、二世三世で優秀な方もいます。
であれば、政治家の資質を確かめる試験などを設けるか、またはやはり金のかからない政治システムを構築して、実力で選挙に勝てる仕組みを作るのが急務なんじゃないかなと。
現状、様々な問題を抱えていますが、その前に世襲議員の問題を解決するほうが先決ではないかなと個人的には思っています。
ルソーの思想がすべて是とは言いませんが、少なくとも世襲議員によって固められてしまうと、個別意志が強くなり、一般意志とまではいかないまでも、国民の声というは、どうやっても届かないだろうなと思います。
で、個別意志が強いと権力を濫用され、国民の声を無視した法案が通り、さらに個別意志が強まっていくでしょう。
今の日本はそんな負のスパイラルに陥っている状態かなと。
革命によって政府が転覆するなんてことを経験している国もありますが、日本では革命の経験は無いので革命を起こすのは難しいようにも思います。
であれば、少しずつ変えていくしかないのだろうなと。
でも、それは多くの人が望まないかぎり難しいでしょう。
そう考えると、多くの国民が政治に関心を持つ必要があります。
桜の会とか、正直、どうでも良い話で、もっと議論すべきことがあったはずです。
しかし、マスコミはそういう重要なことは報道しません。
で、結局、マスコミはどんどん没落していきました。
その代わりに、SNSなどによって個人の発信力が高まっています。
結果として、政治に関する情報が以前よりも多くなっているように個人的には感じています。
そう考えると、少しずつ変化は起きているのかなとも思いました。
ただ、ゆっくりとした変化は国民に長期的な負担を生むことは間違いありません。
であれば、やはり世襲議員の排除やお金のかからない政治システム(選挙)が、日本の政治を変えるのにまず必要なんじゃないかなと。
そんなことを思いました。
本題の社会契約論とは、ちょっとズレた話ではありますが、政治について改めて考える良いきっかけになる本だと思います。