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きっかけはアマプラ
そもそもはアマゾンプライムでドラマ「レンタルなんもしない人」を観たのがきっかけ。ドラマ自体は結構面白くて、設定が秀逸な作品だなあぐらいに思っていました。
むしろ、自分もこういうサービス良いなあって思っていたのですが、アマプラのコメントを見てビックリすることになります。
ネタではなくリアルな人だった
ドラマ「レンタルなんもしない人」は実際にいる人で、それを元に作ったドラマだったのです。これにはかなり驚きました。
レンタルなんもしない人 (@morimotoshoji) · Twitter
2021年3月現在も活動をしていて、書籍を出しています。ドラマはその書籍が元になっています。
何もせずにお金を貰うのはおかしいという批判
いろいろと調べていたら「何もせずにお金を貰うのはおかしい」という批判があったようです。しかし、稼働が発生している以上、費用が発生するのは当然なので、この指摘自体、社会に出たことが無い人なんだろうなと思います。
具体的な例で言うと、例えばアルバイトを雇ったとしましょう。その時、アルバイトが何もしていない時間は給料を払わなくても良いのでしょうか?
答えはNoですよね。
アルバイトはわかりやすかったので例として出しましたが、一般的なサラリーマンも一緒です。
サラリーマンは何の対価として会社からお金をもらっているのでしょうか?
成果と思っている方がいるようですが、それであれば成果に応じた費用が支払われるべきで、毎月定額の給与というのは変です。
そうなのです。サラリーマンは時間拘束に対して給与が支払われているのです。これはレンタル レンタルなんもしない人と一緒のビジネスモデルなんですよね。
社会人であれば、あっサラリーマンと基本構造は一緒やんって思いますが、サラリーマンをしたことが無い人だと「何もせずにお金を貰うのはおかしい」と思ってしまうかもしれません。
新ビジネスの未来
レンタル なんもしない人は、プロ奢ラレヤーを参考にしたという話を読みました。プロ奢ラレヤーとはプロの奢られやです。奢りたいやつは俺に連絡してこい!というコンセプト。これも素晴らしいですね。プロ奢ラレヤーは有名になったことで、書籍やネットサロンなどの収入でビジネスをしています。
レンタル なんもしない人やプロ奢ラレヤーは新しいビジネスと言えそうです。
しかし、ビジネスとして上手く行っている部分の基本的構造は、旧来のビジネスの構造(ビジネスモデル)と変わりません。
つまり、ビジネスモデルは変化していないのが最大のポイントなのです。
そう考えると、レンタル なんもしない人は新しいビジネスというよりも新しい職業と言った方が適切な気がします。
では彼らが上手くいった点はどこにあったのでしょうか?
今風のマーケティング
旧来の方法と違うのは、売り出し方、つまりマーケティングと言えるでしょう。
レンタル なんもしない人やプロ奢ラレヤーのマーケティングにおける共通項を挙げると
- 無料ではじめられる
- SNSで拡散
- 半炎上
というのが出てきます。
「無料ではじめられる」というのは、サービス自体もそうですし、マーケティングツール自体もそうです。正確にはケータイやPCなどが必要なので無料ではないのですが、新たに何か揃える必要がないという点で無料で始められるという言い方にしました。
また、SNSで拡散は両者のTwitterを見ていただければ明白ですね。Twitterも無料サービスですので、誰でもはじめられ、うまく拡散できればタダで宣伝できます。
そして半炎上。これはレンタル なんもしない人やプロ奢ラレヤーが悪いことをしたわけではないですし、変な言動をしたわけではありません。彼ら自身の生き方に対して、勝手に炎上させた人々がいたということです。ですので、半炎上という表現にしました。
実はこの半炎上が今後のマーケティングで重要なポイントなのではないかなと思います。
社会に適応すべきか? 社会を人間に適応させるべきか?
なぜ、レンタル なんもしない人やプロ奢ラレヤーは悪いことをしていないのに批判を浴びたのでしょうか?
その理由は、社会への適応が関係していると思います。
多くの人が大人になっていくにしたがって、社会に適応していきます。社会への適応として一番わかり易いのは働くということです。それが普通です。私自身もそうでした。
しかし、レンタル なんもしない人やプロ奢ラレヤーは、社会に適応することを辞めたのです。
多くの人からすれば、社会に適用できない=死でえす。しかし、それなのにレンタル なんもしない人やプロ奢ラレヤーは社会に適用することを辞めたのに、お金をもらったり、ご飯を食べたりしています。それが、社会に適用してきた人間にとっては許されないのです。
なぜ許されないのか?
社会への適応はとても大変です。苦痛が伴います。嫌なこともいっぱいあります。でもみんな我慢して社会に適応していくわけです。なぜならば、社会に適応しない=死だからです。お金ももらえないからです。
苦労して社会に適応してやっとお金もらっているのに、何で社会に適応することを辞めた人がお金をもらっているんだ!許せん!というわけです。
しかし、よくよく考えてみると、そもそも苦痛を伴って社会に適応し歯車になることが、人間らしさという点から見たときに正しいと言えるのでしょうか?
個人的には最近疑問に思っています。無理に社会に適応する必要は無いのではないか?ということです。
むしろ、社会を人間に適応させるべきなのでは?と思っています。
未来の新ビジネスは人間主体がキーワード
さて、いろいろと書いてきましたが結論を言いますと、未来の新ビジネスは人間主体がキーワードになると考えています。
レンタル なんもしない人やプロ奢ラレヤーは、まさにその最先端と言えるでしょう。
いやいや彼らは特異な例という方もいるかもしれません。確かに今の所、彼らは稀有な存在でしょう。
しかし、今後AIやロボットが発達していくと、人間の代わりにAIやロボットが働いてくれるようになります。そうなったとき、人間は必要無くなると言って恐れる人がいますが、レンタル なんもしない人やプロ奢ラレヤーはそんな時代でもできる職業です。
今後ハイテク化(懐かしい言葉だなあ)が加速していけば、彼らのような人間主体のビジネスがどんどん増えていくると考えています。だって、普通の仕事は人間の代わりにAIやロボットがやってくれるので、人間が働く必要が無くなるからです。正直、扱いにくい人間よりもAIやロボットの方が効率的ですよね。そして、AIやロボットのおかげで人間は無理に社会に適応する必要が無くなっていくと思います。
そうなったとき、人間自身の価値に焦点が当たる人間主体の社会になるのです。そして、人間自身の価値をどう生かしていくのか?が未来の新ビジネスを生み出す鍵になると考えています。