ジョン・スチュアート・ミルの自由論からの引用。
一人の人間を除いて全人類が同じ意見で、一人だけ意見がみんなと異なるとき、その一人を黙らせることは、一人の権力者が力ずくで全体を黙らせるのと同じくらい不当である。
自由論 (光文社古典新訳文庫)
この言葉は結構理解が難しいところはあるかもなあと。
特に自分の意見が絶対的に正しいと思っていると、なかなか異なる意見というのを受け入れ難いというか。
また、世の中には間違っていることもあるにはあるので。例えば、地球は丸いとか。
フラットアーサーという考え方を持っている人たちがいて、地球は平面だと言っています。ただ、その根拠が間違っているので、正しい意見ではありません。
ただ、言うだけなら問題ないですが、それでビジネスが成立してしまったりもするので、そういう意味では異なる意見でも流布させるのは違うかなというのが個人的なスタンスです。
まあ、科学が絶対ではないですが、少なくとも確からしさという点ではかなり精度が高いと思っています。
法律や条例の怖さ
最近気になっているのは、法律かなあと。
LGBTQ系とか、反対意見がいろいろとあったにも関わらず、採択されてました。当事者の方たちが反対しているにも関わらず・・・。
つい最近では埼玉県で、子どもの留守番などを規制する条例が提出され、どうなるかという話になっています。
法律とか条例って、十把一絡げに規制をするので、そういう意味では「権力者が力ずくで全体を黙らせる」のに似ているなと。
窃盗とか詐欺がダメというのに反対する人はいないと思うんですけど、世の中には様々なケースがあるので、現場の状況も知らず一方的な意見だけで法律や条例を作るのは、やっぱり違うんじゃないかなあと。
そういう意味で、異なる意見を封殺する手段として、今権力が濫用されている気がしないでも無いですね。