安楽死を考える – 医療組織とは別の安楽死組織・システムの整備とメリット

投稿者: | 2023年7月30日

あくまで個人的な考えをつらつらと書いたものです。

個人に死ぬ権利が有るか否か

まず個人的な結論を書くと、安楽死は肯定派で、ちゃんと国のシステムとして整備した方が良いと思っています。

安楽死について考える際に、最初に議論すべき点は「個人に死ぬ権利が有るか否か」かなと。

個人に死ぬ権利が有る場合、これは安楽死を認めるのとほぼ同義かなと思います。個人には死にたい時に死ぬ権利があるということで、それを行使するために安楽死のシステムがあった方がいろいろとメリットが多いでしょう。

では、個人に死ぬ権利が無い場合は、どれほど死にたいと考えても、死なせてくれない、延命されるような社会です。例えば、病気で苦しんでいて、一日中全身に痛みを感じている人が、その後一生その痛みを受け続けるというのがわかりやすい例かなと。

個人的にはこれは拷問に近いと思っていますが、それを望んでいる人もいるかもしれないので、そういう方にとっては個人に死ぬ権利は無いと思っているかもしれません。

でも、多くの人は個人に死ぬ権利が有るじゃないかなと、個人的には考えています。

判断するのは医師ではなく意志

とある記事を読んだ際に、安楽死の判断を医師が行う必要があり、医師の負担が大きくなりすぎるというのがありました。

ただ、これは個人的にはおかしな話かなと。

個人に死ぬ権利が有る場合、医師の判断は関係なく、個人の意志が尊重されるべきではないでしょうか。

医師によって無理やり生かされるのは、個人に死ぬ権利が無いばかりでなく、医師が患者を殺す権利を持っているとも考えられます。

医師が薬を処方しなければならないから、という意見もありますが、だからこそ安楽死システムをちゃんと整備する必要があるのでは?というのが個人的意見です。

つまり、死ぬ権利を行使する場合に、医師の判断は必要なく、医師に薬を処方してもらう必要もないシステムを作るということ。

さらに言えば、死ぬ権利を行使する場合、医師によって手を下してもらうのではなく、自身の意志でやってもらえば良いだけだと思います。

薬を飲むのも自分でやる、または安楽死の機械があったとしてそれのボタンを押すのは自身でやってもらうというわけです。

安楽死と医師の関係を分けることによって、安楽死に関する医師の負担はほぼ無くなるのかなと思います。

植物人間のような例外的なケースもある

難しいのは植物人間のような例外的なケースです。死ぬ権利を行使したくても、すでに植物人間状態になってしまっては、意志の確認のしようがありません。

家族の意志が尊重されると思いますが、この点については、個人の死ぬ権利とは少し違うので議論が必要かなと。

ただ、このようなケースにおいても、安楽死システムの範囲に含んでしまえば、医師の負担は軽減されるのではないかなと思います。

宗教的な観点の反対

宗教によっては人の命は大切であり、安楽死は良くないという反対です。しかし、世の中には沢山の宗教がありますし、様々な考え方が存在します。

選ぶのは個人の自由。つまり宗教の自由が保証されているわけです。

もし、安楽死について宗教的な反対がある場合、それは他の宗教や考え方を否定することになります。

過去の人類の歴史を見ても、宗教が発端の戦争は数多く起こっていますし、現在でも宗教がもとになっている争いは絶えません。また、考え方の違いや国の違いによっても戦争が起きています。

しかし、本来、理想的な社会においては、他の人の考え方を認め、お互いに尊重しあうのが良いと個人的に考えていて、それを弾圧するのは違うのではないかなと。

今の世界の潮流も多様化に向かっていますし、宗教や考え方が違うからと言って、それが悪というのは違うように思うのですが、どうでしょうか?

そもそも安楽死システムが出来たからといって、それを利用するかしないかは個人の自由です。自身が信じる宗教がNGだから、他の人もそうすべきだというのは、傲慢以外の何物でもないと思います。自身が選択しなければ良いだけの話なので。

豚肉を食べない宗教の人が、他の人に豚肉を食べないことを強要しているようなものです。

人間の尊厳が失われる?

そもそも人間の尊厳とは何でしょう?

ざっくり言えば「すべての人間が互いを人間として尊重する」ということらしいです。

そこには、個人の決定や生き方を尊重するという内容も含まれています。

つまり、安楽死に反対するというのは、個人の決定を認めないことであり、それ自体が人間の尊厳を踏みにじっているとも言えるでしょう。

むしろ人間の尊厳を尊重するのであれば、安楽死を認めるというのが本来の立場と言えそうです。

心が弱っている時の判断は信用できない?

精神的なストレスから自殺を考えてしまう人や病気で苦痛が絶えない人は、判断力が落ちているため、安楽死を選ぶという判断が間違っている可能性があるという反対があります。

確かに自分も自殺を考えていた時期もあり、その時は生きる意味をまったく感じていませんでした。

しかし、カウンセリングを受けて自分はようやく少しだけ立ち直ることができ、今は死のうという気持ちはありません。

ですので、この反対理由はよくわかります。

だからこそ、個人的には安楽死システムを整備すべきなのではないか?というのが個人的意見です。

具体的には、安楽死を選ぶ際にカウンセリングなどを受けてもらうという話。当然ですが、その際に本人の意志に反対したり、説得するようなことは良くないと思っています。

あくまで話を聞き、情報を提供するレベルです。

精神的なストレスから自殺を考えてしまう人の場合、この段階で考え方が変わる可能性が高いように思っていますし、病気で苦痛が絶えない人にも治療に関する情報を提供することで、再度判断する機会があり、考え方が変わるかもしれません。

詳しくは後述しますが、個人的に安楽死システムがあっても、すぐに安楽死OKという話ではなくて、ワンクッション置くことが重要だと思っています。

意図しない安楽死が起きる可能性

これも安楽死システムが整備されれば、ワンクッション置くことができるので、防ぎやすいかなというのが個人的な考えです。

それでも法の目をかいくぐって意図しない安楽死が起きてしまう可能性はゼロではありません。

しかし、可能性がゼロではないからダメというのは、社会においてはマイナスでしか無いでしょう。

包丁で殺人事件が起きる可能性があるから販売するのはダメ、車で事故が起きるから人間が運転するのはダメなどがわかりやすい例です。

包丁や車は人を殺すための道具ではありません。また、普通に生活している中で、人を殺そうとして包丁や車を購入する人はいないでしょう。結果としてそうなったとしても、それは意図したものではありません。怨みとかを持っているなら別ですが。

人類は様々な失敗や意図しない出来事が起きて、それをもとに改善していくことで発展しました。安楽死システムについても同様のことが言えると思っています。

個人的に考える安楽死システム

ここからは個人的に考える安楽死システムについて書いていきます。実際に運用するとなったら、もっと細かな規定などが必要だとは思いますが、ざっくりしたたたき台があった方が良いかなと思うからです。

安楽死は自分で

医師のところでも書きましたが、安楽死をする際にはご自身でやってもらうのが良いと思っています。

薬を飲むにしても、安楽死の機械を使うにしてもそうです。あくまで、自分の意志で行うということ。

手が動かせない場合でも、視線認識を使うこともできますし、音声認識だって使えます。大切なのは、本人の意志で行うという点です。

また、安楽死をする際にはビデオで録画しておく、記録をデータに残しておく、というのが重要かなと思います。

これにより第三者による殺人を防げるかなと。ビデオや記録データの改ざんする人もいるじゃないかという方もいるかもしれませんが、そもそも犯罪です。犯罪をする人がいるからという理由なら、我々すべての人間は犯罪を犯す可能性があるので、存在することすら許されなくなってしまいます。

安楽死をしたくなったら安楽死組織に申請

安楽死をしたいと考えた場合、基本的には申請して行うのが良いと思っています。それは医療とは別組織にです。

そもそも医師に生殺与奪権があるというのは、おかしな考え方です。もちろん、実務上生殺与奪はあるのは確かですが、ほとんどの医師は患者を救うことを考えて行動していますし、自身が生殺与奪権を持っていて、それによって患者を脅すようなことはしないでしょう。

もし、そのような事案があれば、それこそ問題です。

ですので、医師とは切り分けるために別の組織を作り、そこが安楽死について一手に引き受けるというわけ。

薬の処方や安楽死の機械についてもその組織が管理することになります。安楽死組織はあくまで安楽死をサポートし、その後処理をするだけの組織で、安楽死組織に生殺与奪はありませんし、与えてもいけないと思っています。

必ずカウンセリングを受ける

安楽死組織に申請すると必ずカウンセリングを受けてもらいます。そのカウンセリングを受けても安楽死の意志に変化が無い場合、安楽死が行われるという流れです。

安楽死組織では、薬の用意や安楽死の機械のセッティングはしますが、それ以降は本人にすべて行ってもらいます。

安楽死が完了したら、後処理をするという感じです。

カウンセラーの負担軽減にAIを使う

個人的に現状で一番気になったのは、カウンセラーの負担です。

安楽死に対してフラットな人であっても、やはりご自身が面談した人が安楽死を選択するというのは、結構なストレスだと想像できます。

そこで、カウンセリングにAIを導入するのが良いのではないか?というのが個人的な考えです。

人間のカウンセラーは、AIとの対話で安楽死を踏みとどまった人のケアをしてもらうというのが一番良いのかなと。

AIに対してネガティブな印象を持っている人もいるかもしれませんが、死というものに対して、冷静でいられる人の方が少ないと思いますし、AIが学習を重ねていくことで、安楽死を選ばなくなる人が増えるのではないか?と個人的には思っています。

安楽死システムのメリット

最後に安楽死システムを整備することで生まれるメリットについて書いていきます。

痛みを伴う自殺の減少

まず痛みを伴う自殺がかなり減るのではないか?というのが個人的予測です。

例えば電車に身を投げ出すような自殺の場合、一瞬で意識は無くなるとは思いますが、その痛みはかなり大きいでしょう。

他にもいろいろとありますが、このあたりの痛みの情報を共有することで、痛みを伴う自殺が減少すると思います。

そして、楽に死ねる安楽死システムを選択する人が増えるのではないかなと。

安楽死システムに申請すれば、カウンセリングがあるので、そこで踏みとどまる人も増えるのではないでしょうか。

そもそも自殺をするケースというのは、精神的なストレスを自身で抱え込んでしまっているパターンが多く、カウンセリングなどで話すだけでもかなりストレスが軽減されます。

これまでは、カウンセリングなどを受ける機会が無かったのに対して、安楽死システムを整備することで、そういう人たちにカウンセリングの機会が生まれるのがメリットです。

自殺後の処理のしやすさ

自殺をするとその後処理が大変です。しかし、安楽死システムを整備しておけば、綺麗に死ぬことができ、その後の処理もやってくれます。処理と言っても、事故などに比べれば遺体はとても綺麗なので、かなり扱いやすいのではないでしょうか。

また、自殺による後処理の大変さというか、例えば首吊りの場合糞尿が撒き散らされるなど、その人の尊厳が失われるようなことが発生することを社会で共有できれば、首吊りを考えている人達も安楽死システムを採用する可能性が出てくると思います。

重病人の医療費低減

言ってしまえば、不治の病の方たちです。その中には安楽死を望む人もいるでしょう。

そういう方たちにはずっと治療費がかかっているわけです。当然、家族も負担していますが、国が認定している病気については国から補助が出ることもあります。

そのような補助のお金は税金です。

安楽死を望む人がいて、その望みを叶えると、税金が安くなるというのは、社会においてメリットだと考えています。

自殺減少による交通機関停止などの減少

最初の項目でも少し書いた電車に身投げをするような事案が減れば、交通機関停止などが減ることは間違いありません。

防ぎきれないものもあるとは思いますが、少なくとも安楽死システムを整備すれば、数が減るだろうことは推測できます。

これも社会にとってメリットではないでしょうか。

最後に

冒頭でも書きましたが、自分は安楽死に賛成派です。

まず、個人に死ぬ権利があると思っていますし、その権利をなぜ自分以外の他者に委ねなければいけないのかがよく理解できていません。

自分の生殺与奪権を例え医師であっても他者が握っていることに納得できないからです。

多くの人が、自分の人生なのだから、自分自身で判断し、自分自身で選択し、自分らしく生きることに賛成でしょう。

であれば、死ぬことについても、自分自身で判断し、自分自身で選択できるのは当たり前ではないでしょうか。

そもそも死ぬことは悪いのでしょうか?

自分にとって悪いことであるならば、そもそも安楽死システムを選ぶ必要は無いのです。

しかし、自分にとって今後の人生が絶望しかなく、痛みしかなく、苦痛しかない人間にとって、死は救いである可能性があると思います。

わかりやすい例で言えば、敵に捕まって一生拷問されるような人生です。

拷問は特殊な例と思うかもしれません。けれど、生殺与奪権を他者に握られている点では安楽死が認められていない社会と一緒だと自分は思います。死にたくても死なせてくれないのですから。

そんなわけで、自分の生き方を自分で決めたいように、自分の死に方も自分で決めたいなと個人的には思っています。

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