自分の中の僕とワタシ 小説ネタ

投稿者: | 2021年10月11日

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自身のジェンダーが様々な存在するのが主人公。男性も愛せるし、女性も愛せるし、男性にも愛されたいし、女性にも愛されたい。

性自認は時と状況によって変化する。だからこそ、コミュニケーションが難しい。

そんな悩みと時代背景を描いていく。

伝えたいこと

我々は男性とか女性とかに囚われすぎているのではないだろうか?

フェミニズムの台頭により女性の人権が叫ばれつつも、なぜか女性優遇措置による男性差別も横行するという昨今。

しかし、それは進化の段階という意味では、揺り戻しと言える。

そもそも本質的なこと言えば、人間を男性や女性という枠で括って話をしていること自体が間違っている可能性が高い。

つまり、フェミニズムではなく、ヒューマニズム的な視点が大切なのではないか?ということだ。

男性上位とか女性上位とか、男性蔑視とか女性蔑視とかではなく、そもそも人間としての権利をすべての人間が平等に享受できる社会が大切なのでは?という話。

男性の権利とか女性の権利とかではなく、人間としての権利をすべての人間に平等に与えられるべきでは?ということ。

男性だから、女性だからという話ではなく、人間だからという言い回しにするというのがわかりやすいかもしれない。

フェミニズムの台頭は様々なところに歪みが出ている。それは、無理やり女性を採用したり、女性管理職を増やしたりしたことに起因する。なぜ歪みなのかと言えば、能力に関係無く、女性ということで採用されているから。これは完全に男性蔑視と言えよう。

そもそもあるべき姿というのは、能力のある人間が適材適所で配置されることであって、女性を採用することではない。1人の人間として能力を判断し、それに応じて採用されるべきということ。

それが前述した男性だから、女性だからではないということ。

というか、フェミニズムのそもそもの本質は、そういうことなのだが、いつの間にかビジネスフェミニストの影響で女性を優遇するという意味不明な形で社会に浸透してしまった。本来あるべきは、女性という理由で不利益を受けることをなくすのが目的。これは逆に言えば、男性という理由で不利益を受けるのもおかしいということでもある。

この歪みは、ビジネスフェミニストの影響でもはやどうしもようないぐらい捻れてしまった。これを戻すことはビジネスフェミニストが居なくならない限り難しいだろう。

だからこそ、その先の未来の視点として、そもそも男性とか女性とかではなく、1人の人間なのでは?という提言が今必要だと考えている。

冒頭

あなたは女性ですか?

それとも男性ですか?

それとも人間ですか?

あなたは男性が好きですか?

それとも女性が好きですか?

それとも人間が好きですか?

自分の中には僕とワタシが存在する。

僕は男性で男性も女性も好き。ワタシは女性で男性も女性好き。

ネコもタチもできる。

リバなのかもしれないけれど、それは常に移ろい、とどまることはない。

最近、気づいたのは男性が好きでも女性が好きでもなくて人が好きだということ。

好きになった人がたまたま男性だったり女性だったりするだけ。

好きになった人が男性だったから嫌いになるということも無いし、女性だったから嫌いになるというこも無い。

あなたはどうですか?

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