ちょっと興味深い記事があったので紹介。
家でゲームするのは「基本的人権」じゃない? 香川ゲーム条例訴訟、双方の対立激化 – 弁護士ドットコム
香川のネット・ゲーム依存症対策条例の訴訟で、原告側が基本的人権を侵害しているという主張に対し、香川県が反論。
個人的に気になったのは、
- 「eスポーツを楽しむこと」を宣言するのは基本的人権ではないという主張
- ゲーム依存症はアルコール依存症やギャンブル依存症と同じで定義付けされていないが予防が重要という主張
の2点。
基本的人権というのは、憲法第十三条のことで、
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
という内容。
何を楽しみとするかを香川県が決めるという主張
憲法十三条の幸福追求に「eスポーツを楽しむこと」は含まれないというのが香川県の主張。
これはとても興味深い反論で、香川県としてはeスポーツを楽しむことは幸福追求ではないとも取れます。というか、そもそもxxを楽しむことのxxは個人の自由だとは思うのですが、香川県としてはそれを認めないという考えなのかなと感じました。
つまり、幸福追求の内容については香川県が決めると言っているようなものです。
香川県の主観で依存症を拡大解釈するという主張
また、ゲーム依存症が定義されていないにも関わらず予防が必要という主張も気になります。というのも、定義されていないものを予防って暴論ですよね。定義されていなくてもそれに制限を加えるというのは、そもそもできません。何故ながら線引きがされていないからです。
恋愛はゲームだみたいなことを言う方もいます。ならば恋愛はゲームなので1日1時間に制限しなければならないということになります。これは極端な例ですが、定義されていないということは拡大解釈が可能です。そして香川県は、その拡大解釈は条例を作った香川県が握っているという主張なのです。
香川県はディストピアを作りたい!?
個人的にこれらの香川県の主張から感じたのは、香川県による管理社会実現のように思えてなりません。
香川県の反論から見え隠れするのは、
何が楽しいのかは香川県が決め、言葉は香川県のさじ加減で定義し制限をする
とも取れます。
この考え方を推し進めていくと、住民は香川県が指定した楽しいこと以外の幸福追求は許されず、いつ香川県のさじ加減によって法律違反にする社会となります。
これってもはやディストピアですよね。
まあちょっと極論で話しましたが、少なくとも香川県は住民の生活様式を香川県が管理する社会を目指していることは明白です。
本来は不正を暴くべき
そもそも香川県のエーム条例ってパブコメに不正疑惑がありましたよね。これは一部の人達の暴走かもしれません。
であれば香川県としては、まずそれらを明らかにし、不正があったのであれば条例を取り下げるべきだったのです。
ところが、不正があったかどうかを徹底的に調査し明らかにしなかったため、どんどんあとに引けなくなってこんな状態になってしまったというのが実情でしょう。香川県は反論すればするほど、個人の自由や幸福追求を制限し、住民を管理することを目指すと宣言し続けることになります。見ていて痛々しいです。
今回の裁判、どちらに転んでも興味深いことになるので、裁判官の方は大変だろうなと。
香川県の主張を通せば、香川県が個人の楽しみを定義し、線引されていない言葉は香川県が独自に規制できることになります。まさにディストピア実現への第一歩です。
逆に香川県が負けると同じような訴訟が連鎖的に起きるでしょう。さらに不正が発覚すれば、泣き面に蜂になりかねません。
まあ、どこかに落としどころを見つける必要があるでしょうね。裁判官の方々お疲れ様です。
そもそも個人の自由や楽しみを法律で制限しようという考え方がちょっと古いのかなと個人的には思いました。啓蒙活動にとどめておくレベルだと思います。