なぜ1 on 1が失敗するのか? インプットとアウトプットと感情に関する個人的見解

投稿者: | 2021年8月12日

ドラマ「私の家政夫ナギサさん」の第6話で1 on 1の話がでてきて、ふと昔のことを思い出したので、なんか書いてみようかなと。

なぜ1 on 1が失敗するのか?

自分が所属していた企業でも1 on 1が導入されました。しかし、うまく機能していないようでした。

そもそも1 on 1で何を話せばよいのかわからなかったり、ただ話して終わってしまったり、1 on 1の効果を実感できなくて懐疑的になっている人も多かったですね。

それもそのはずで1 on 1でもっとも重要なポイントが理解されていないからです。だから、1 on 1がうまくいかないのです。

というか、1 on 1がうまくいかない組織は、そもそも組織としてうまくいっていない可能性が高いので、ある意味リトマス試験紙のような感じで機能しているとも言えます。

では1 on 1でもっとも重要なポイントとは何でしょうか?

一般的に1 on 1では傾聴が重要と言われています。

そもそも傾聴とは

コトバンクによれば、

傾聴とは、相手のいうことを否定せず、耳も心も傾けて、相手の話を「聴く」会話の技術を指します。意識すべきなのは、相手に共感し、信頼していると示すこと。

傾聴とは – コトバンク

とありました。

1 on 1では特にこの傾聴がキーワードとしてクローズアップされることが多いです。それもあってか、とりあえず話を聴くことばかりが先行している気がします。

しかし、ただ聴くだけでは意味が無いんですよね。傾聴でもっとも大切なのは共感であり、聴くことではありません。

ドラマの中でも共感することが重要と言っていましたね。

では共感って何?

じゃあ共感って何でしょうか?

単に相手に同調することが共感ではありません。

コトバンクによれば、

共感とは,他人の気持ちや感じ方に自分を同調させる資質や力を意味する。すなわち,他人の感情や経験を,あたかも自分自身のこととして考え感じ理解し,それと同調したり共有したりするということである。その結果,ヒトは他人のことをより深く理解することができる。

共感とは – コトバンク

とあります。

つまり、単純に相槌を打ったり、同調すれば良いというわけではなく、共感には理解が必要ということです。

これはどんな話でもそうですが、適当に相槌を打って理解したふりをしているのは、相手にバレてしまいます。そうなると部下の信頼を失ってしまいます。

会社から言われて嫌々やってだけで、めんどくせーなあって上司が思えば、それは部下に伝わり、結果として形骸化していき、無駄だ会議の時間が増えたという不満につながっていきます。これは1 on 1に限った話ではなく、あらゆる会社の制度に言えることですね。

つまり単純に話を聴いているだけではだめで、共感したふりをしても駄目というわけです。

ちゃんと共感する必要があります。

ちゃんと共感するというのは、ちゃんと理解するってことです。

では、理解とは何でしょうか?

理解とは何か

コトバンクによれば、

了解ともいい、一般的にはある種の認識の仕方、すなわち対象として与えられたものについて、そこに含まれている内的な意味や本質を把握することである。

理解とは – コトバンク

とあります。うーん、分かりづらいですね。

これだけ読むとなんとなく知識として知ることのようにも思えます。

しかし、個人的には知ることと、理解することは全く別だと考えています。もう少し詳しく言えば、本質を知ることと、本質を理解することは別ということです。

ここが理解が難しく、結果として共感が難しい理由だと個人的に考えています。

知ると理解するの違い

これはあくまで個人的な見解ですが、

  • 知るとは情報を脳にインプットすること
  • 理解するとは情報を脳にインプットし感情を付与すること

だと思っています。

その大きな違いは情報に対して主観的な感情が入っているかどうか感じるかどうかです。そして共感は同調以外にも共有というのがキーワードになっています。

つまり、共感とは相手からインプットした情報に対して何らかの主観的な感情を付与し相手にアウトプットして返すことなのです。

単に話を聴くだけでは知識を脳にインプットしているだけですし、単なる相槌がダメなのは感情が付与されていないアウトプットだからです。

これが個人的に傾聴、共感ができず1 on 1が失敗する理由だと思っています。

共感しているふりがバレてしまうのも、アウトプットに感情が付与されていないからです。

理解に知識の量は関係ない

本来の理解というのは情報の本質まで認識することです。しかし、一般的には情報に対して何らかの感情が付与された段階で理解されたと認識されます。重要なのは知識の量ではないことです。

わかりやすい例を挙げるとすれば、Twitterがありますね。Twitterでは140文字という制限があります。そのため、十分な意図が伝わらず、拡散され、炎上することがたびたびあります。

自分自身もTwitterの言葉だけを見て、この人はxxな人だからダメだなあと思ってしまうことがあります。勝手に理解して勝手に感情をのせてしまってるんですよね。そういうことってありませんか?

で、これが良いとか悪いとかの話ではなくて、結構人間って浅い知識で理解したと思っていることが多いという話です。

何が言いたいかというと、傾聴における共感においても同じことが言えます。

つまり、相手のことをすべて知り、本質を認識する必要は無いのです。

大切なのはインプットした情報が少なかったとしても、何らかの感情を付与してあげれば良いということなのです。

わからないことをわからないと言えること

感情を付与するといっても難しいと思うかもしれません。たとえば、興味の無いような分野について話されても、よくわからんと思うでしょう。

そうなんです。そのよくわからんと思ったことが重要なのです。それをアウトプットとして伝えれば良いのです。

ただ、それをそのままアウトプットすると喧嘩になります。ですので、わからないからもっと詳しく教えてほしいと言えば良い話なのです。

そして、これは相手との関係性において重要な変化をもたらします。

それまで上司部下の関係が逆転するのです。

部下、つまり話し手が先生的な役割となり、上司が話し聴く生徒側になります。これによって相手は心理的に優位に立てますし、どんどん話をしてくれると思います。つまり自然と傾聴ができるわけです。

しかし、上司という立場上、部下にわからないと言えない人が多いです。だから、部下も話をしなくなってしまいます。

特にしったかぶり上司は、何でも知っているふりをするので、部下がどんどん話をしなくなっていきます。何を言っても、知ったかぶりでマウントを取ってくるためです。

素直にわからないならわからないと言えば、それだけで部下からの信頼度は高まるでしょう。

まとめ

まとめると、

相手が話した内容について感情を付与して返し、わからないことはわからないと伝え詳しく聞くこと

が重要という話です。